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2006年10月11日

青森のやきそばはうまがったでぃあー!

またしばらく書き込みが出来なかった。先週は母校=静岡聖光学院にて講演、同窓会で50歳、40歳、30歳の同窓生に呼びかけたのだが、わざわざ来てくれたのは先生も入れて20名程度であった。しかし、やはり母校とはいいものである。人前で話をする機会が増えれば増えるほど、自分の無知に気づき、今は亡きピエール=ロバート先生の教えの価値を実感する。勉強しない生徒は悪人扱いするほど厳しい先生だったが、その教養、語学力は驚異的であった。もっと言うことを聞いて勉強しておくんだったと母校を訪れる度に思う。
10から11日は青森へ、飛行機に乗っている時間はたった一時間だがやはり遠い。青森おでんの会の総会で基調講演を依頼されたのだ。鎌田会長をはじめ、皆さん暖かく迎えてくれ、空港まで迎えに来てくれるし、二次会、三次会とすっかりご馳走になってしまい、パネラーとして参加した八戸せんべい汁研究所の木村事務局長達と楽しい夜を過ごさせてもらった、感謝。
翌日、二日酔いにも関わらず、青森にやきそば専門店があると聞き調査に赴く。「やきそば、すずき」という何かちびまるこちゃんの本のタイトルみたいな店だが、小さいが小ぎれいで非常にシンプルながら焼き加減もソースの濃さも程よく大変美味かった、富士宮やきそばと言えどあなどれない味であった。やはりやきそばというものは、奇をてらうのでなくあくまでもシンプルな具材(肉とキャベツ程度)で美味いものが本来であろう。

2006年10月02日

G麺逝く

丹波哲郎が逝った。やきそば学会誕生時には、やきそばG麺として「Gメン75」のオープニングシーンのパクリをTVでよくやらされたものだ。当然私が丹波哲郎役なのだが、やきそばのへらを持ったりして今考えるとよく恥ずかしいお馬鹿なパフォーマンスを繰り返しやったものだと思う。しかし、そのことがマスコミへの印象を強め、当初のやきそばブレイクに大きく貢献したことは確かである。全然関係ないとは言え、何か身近な人を失ったような、お世話になったような・・・、有名人というのはそういった存在感を持っているものなのだろう。丹波は「死後の世界」でも有名だが、私も若い頃、大学のレポートで死後の世界を扱ったことがあり、その方面の著作はかなり読んだ記憶がある。意外に死んだらこのようになるという表現が様々な書物において共通点が多いのである。興味深かったのは、息を引き取った後に蘇生した経験を持つ人達が多くの共通体験をしていることだった。その体験が、仏教思想の極楽浄土や三途の川などと重なる点があったり・・・。G麺の話と大分離れてしまったが、宗教や信仰に関しては追ってじっくり取り上げてみようと思っている。実はやきそばよりそちらの方が詳しいので。