富士宮やきそば学会の直営店のやきそばショップです。
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どうして富士宮だけ独特の「やきそば」か

どうして富士宮だけ独特の「やきそば」か

 戦後、富士宮市の商店街には山梨県の身延線沿いの人たちが、買出しに来て賑わっていた。彼らは、手ごろであるやきそばを好み、地元に持ち帰っていた。

 そうした人たちや「洋食屋」のために、当時、冷蔵庫などがなかったことから、製麺会社はなるべく日持ちがする麺を思考し、極力水分を除くことができる蒸麺製法を考案した。

 そして、その蒸し麺は、水分が少なく硬いことから、調理する際に、鉄板の上で水を加えたりキャベツの水分で柔らかくする焼き方が考案され、更に、肉かすやだし粉などを入れ、旨味などが工夫されてきた。こうして、製麺会社や洋食屋の思考錯誤の末、富士宮独特の腰があり、硬めのやきそばが出来あがり、市民生活に定着していくこととなった。

 一方、全国的には、大手の食品メーカーが柔らかい茹で麺のやきそばを全国展開し、一般に普及していったが、富士宮では、既に固めのやきそばが市民に定着していたことから、やわらかいやきそばは、あまり市民に受け入れられなかった。こうした経緯により、現在まで富士宮地域においては独自のやきそばとして市民にこの上なく愛され、富士宮の食文化として築かれてきた。

 この富士宮独特のやきそばは、余りにも日常的に市民の食文化として根付いてきたことから、やきそばは全国一律に同じものと解され、富士宮独特であることに気づかないでいた。あるいは気づいても、富士宮のやきそばはおいしいと思う程度の認識であったことから、その違いを殊更うんぬんする機会もなかったのが実情であった。

 それが、中心市街地活性化の市民ワークショップに集った参加者により、まちおこしの一環として「富士宮やきそば学会」が誕生し、マスコミから大きく注目され、やきそば大ブレークの発端となっていった。あるマスコミの記者は、取材していくうちに、富士宮はガラパゴス諸島と似ていると地域固有の食文化を表現していたことが、言い得て妙である。

なぜ富士宮市は「やきそば屋」が多いのか

 そもそもは、やきそば屋と言っても、お好み焼き屋のことであり、古くは洋食屋と呼ばれ、駄菓子屋の一角に鉄板を設け、お好み焼きを焼いていた店のことである。

かつて、富士宮市は大正、昭和時代の初期、表富士登山口として登山客が多く、そのため旅館等が数多くあり、浅間大社を中心にまちなかが賑わっていた。

また、オーミケンシをはじめとした製糸業が発展していたことから、そこで働く若い女性や従業員なども多く、まちなかが交流の場としても賑わっていた。

お好み焼きは、そうしたまちなかの駄菓子屋の一角などで始められ、安価で、手頃な食べ物として子供や製糸業で働く女工さんたちに好まれ、ソース味が珍しかったことからお好み焼きを出す店は「洋食屋」と呼ばれ親しまれてきた。

 戦後になり、中国に赴いていた人達が帰還し、中国で味わった忘れることのできない味の麺類を見様見真似で開発し、その一つがやきそばであった。戦後の食糧不足の時代でも、野菜があれば少量の小麦粉でできるやきそばは市民に手頃な食としてもてはやされ、洋食屋では、お好み焼きのほか、やきそば、焼きうどんなども始め、まちかどのいたるところに店が立ち並び、市民生活の中に根付いてきた。