富士宮やきそば学会の直営店のやきそばショップです。
富士宮やきそば学会 直営店!

なぜ富士宮市は「やきそば屋」が多いのか

 そもそもは、やきそば屋と言っても、お好み焼き屋のことであり、古くは洋食屋と呼ばれ、駄菓子屋の一角に鉄板を設け、お好み焼きを焼いていた店のことである。

かつて、富士宮市は大正、昭和時代の初期、表富士登山口として登山客が多く、そのため旅館等が数多くあり、浅間大社を中心にまちなかが賑わっていた。

また、オーミケンシをはじめとした製糸業が発展していたことから、そこで働く若い女性や従業員なども多く、まちなかが交流の場としても賑わっていた。

お好み焼きは、そうしたまちなかの駄菓子屋の一角などで始められ、安価で、手頃な食べ物として子供や製糸業で働く女工さんたちに好まれ、ソース味が珍しかったことからお好み焼きを出す店は「洋食屋」と呼ばれ親しまれてきた。

 戦後になり、中国に赴いていた人達が帰還し、中国で味わった忘れることのできない味の麺類を見様見真似で開発し、その一つがやきそばであった。戦後の食糧不足の時代でも、野菜があれば少量の小麦粉でできるやきそばは市民に手頃な食としてもてはやされ、洋食屋では、お好み焼きのほか、やきそば、焼きうどんなども始め、まちかどのいたるところに店が立ち並び、市民生活の中に根付いてきた。

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