
| やきそば情話 1 「富士宮やきそばとガラパゴス 富士宮やきそば学会 運営専務 渡辺 孝秀 |
「食」によるまちおこしは、全国数多いが、「富士宮やきそば」ほど市民レベルからかくも短期間に、しかもなにもコストをかけずに全国に情報発信した例は珍しいのではないか。 やきそば店の前を通ると、本当によく県外ナンバーの車が止まっている。店主に聞いてもそれこそ北海道や九州、沖縄からも見えているという。県外から毎週訪ねてくる常連組も結構多いそうだ。「食」に対する求心力には改めて驚かされる。 ところで、やきそばG麺の一人であることから、富士宮の独特なやきそばは、どうして今まで知られていなかったのかと取材に来る方からよく質問を受ける。 その答えは、至って単純である。外に向かって、情報を発信していなかっただけのことである。では、なぜ情報発信をしてこなかったのであろうか。次のように整理することができる。 一つ目は、市民の日常食であったことから、殊更、情報発信する必要がなかったこと。 二つ目は、やきそば店は近所の常連を相手に小遣いかせぎをしていたことから、敢えて情報発信する必要がなかったこと。 三つ目は、製麺業者によるところが、大きい。それは、生麺であったがために目の届く範囲内の製造であったこと。また、大きな事業展開を考えなかったことなど。 そして、四つ目は、東海道筋からはずれた地域であり、たまりの文化となっていたのではないかと。 ある雑誌社の記者が、取材をしているうちに大変興味深くなり、富士宮やきそばがこの地域の食文化として生き続けてきたことに対して、ガラパゴス諸島状態と例えていた。まさに富士山の西南麓に戦後50数年、進化することなく生き続けてきたものが、市民の力により地域の食文化として一気に躍り出たようだ。 |